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「たとえばこんな昼下がり」



















「あの、アッサム先輩! …ちょっと良いですか?」
「は?」


 奈子に誘われて昼飯後の茶を飲んで。
部活の活動状況だかなんだかを報告するために、
肝心の奈子は足早に生徒会室へと消えていった。
その、残りの時間の出来事。
廊下を歩いてた俺達の目の前に、いきなり現れたのは。
2年の中で結構な美人だ、と名高い女子だった。
名前は…なんて言ったっけ…。
彼女は、何か重大な決意をしているのだろう、
普段は色白なその顔を真っ赤に染めて、
俺の隣を歩いてたアッサムを勢い良く外へと引っ張り出した。

…またか。

わずかに迷ったが、結局その場に立ち残る事にした。
窓の枠に腰を落として、ぼんやり空なんかを眺めてみる。
…声が聞こえてきた。


「好きです! ずっと前から…」


こんなことは初めてのことじゃない。

 高等部だけじゃなく、中等部の間にまでも噂になっている、
魔法のように突然現れた留学生たち。


…そりゃそうだ。
実際に魔法を使って、あたかも最初からいたみたいに見せかけてるんだからな。
 もちろん、最初はうちの生徒となるための魔法なんかは使っていなかった。
勉強するのが面倒くさいからだ、というのがヤツラの言い分だったと思う。
しかし、何度も何度も学校内をうろついてちゃ、
いつの間にか留学生扱いされるのは当然の事で、
結局いろんな不都合もあって、その魔法で学生の身分を手に入れた。
セイロンだけは、呼び出されたわけじゃなく
自分から思惑を持って初めから生徒として転入した形をとっていたわけだが…。

アッサムを始めとする連中の正体は「紅茶王子」。


…何だソリャ、というのは俺に聞かないでくれ。
俺の方が聞きたいくらいだ。


そもそも俺は、魔法だの占いだの非現実的な事は全く信じてない。
そんなものは、自力で事を叶えることの出来ないヤツラがすがるもんだ。
俺には必要なかった。


なのに、あの…バカ染谷のせいで。


事の発端は…満月のあの夜。
 
 やけに大きな月だなあ、くらいにしか意識してなかったが。
その日、俺は染谷に言われて屋上まで一人で机と椅子を運び込んだんだ。
「何かとんでもない事が起こる」みたいな口車に乗せられて…。
ま、染谷の言う事を信じた俺がバカだったんだが、
ともかくあの女、ロクに手伝いもしないで―――って、話がそれたな。

 とにかく、その日はなんだか知らんが屋上で(しかも外で!)お茶を飲むことになった。
くだらない―――と帰ろうと思ったけど、
奈子が折角アッサムティーを淹れてくれたからとりあえずそれだけは飲んで、
あとは放っておいて帰ろうと思ったんだ。そうしたら…


「僕達、紅茶王子です」「だぜ!」


…虫かと思ったのに。



 結局、自分達を呼び出した人間―――ヤツラに言わせるとご主人様―――の
三つの願いを叶えることが使命なんだとか何とか言って、
ここに居着く事になったアッサムとアールグレイ。
叶えられないと帰れないとかで、なんだかんだと言ううちにセイロンとペコー、
今じゃ紅までいる始末。

 …そもそも、「ささやかな願い」なんて俺にはなかったし、
ささやかな事ならば自分で叶えるのが本当だと思ってるから叶えて貰う必要がなかった。
そんな、他人に叶えて貰うような願いなんて思いつかなかったし、そんな願いはいらなかった。
俺は頼りたくなんか無い。誰かに借りなんて作りたくない。
それはつまりアッサムに願いを言わないという事で、その結果ずるずると居座られて…。

 それでも、ずっといるかのように思われた連中も
願いを三つ叶えると帰るというのは本当らしく、
まずペコーが消えた。ペコーはアールグレイの妹で
生徒会長が呼び出した紅茶王女だった。

そして今に至る。




それでも、一つは願った。








―――それは他でもない、奈子のために。








…話を戻そう。

 とにかく、この連中は目立った。
今年の文化祭体育祭はその良い例だ。
実際の生徒でもないのに、競技にまで参加。
アッサムに至っては、なんと応援団長まで務めるという結果になった。

これで目立たないわけが無い。


「大勢の人間に影響が出る魔法は使えない」
な〜んて殊勝なこと言ってたくせに…。


「え、おれ!?」


 アッサムの驚いたような反応。
別に興味もなんにもないが、今更焦ったように場所を変えるのもなんだか気に食わない。
行きがかり上なんとなく立ち聞きする結果になってしまった。


 柱の影からわずかに相手の顔が見えた。相手は噂どおりかなりの美人だ。顔は知ってた。
アッサムの顔はここからじゃ見えないが、声の調子で焦っているのがわかる。
アッサムは照れを隠さず、嬉しそうにでも申し訳なさそうに相手をしているみたいだった。
そしてなんだかんだといろいろ言い訳じみた発言をして、最終的にはお決まりの文句。


「ごめん、でもありがとうな」



…やっぱり。



しばらくして戻ってきたアッサムは、まんざらでもないようで…なんだかムカムカする。
…なんだってんだ…?


「相変わらずおモテになる事で」


思わず口をついたのは、自分でも驚くほど冷たい声だった。


「なあんだよハルカ妬いてんのか?」


それに気づいたのか気づいてないのか(多分気づいてないんだろうが)、
妙にへらへらした態度が鼻につく。


「は? なわけねーだろ、気色悪ィ事言うんじゃねえよ」
「やっぱり?」


足早に俺の傍を走り抜けた彼女は。


「…泣いてたみてーじゃん」
「あ、やっぱりそうかあ…。悪いな、とは思ったんだけどさ」
「お前でも悪いと思うんだな」
「何だよそれ」
「別に、言葉通りだろ」
「…なにイライラしてんだよ?」
「してねえよ」
「してるだろうが」
「してねえ」
「…何怒ってんだよ!」
「ハァ? 何だよ急に!?」
「…」
「ちょ、アッサム…痛ェだろッ…んんッ!?」


いきなり腕をつかまれて―――口を塞がれた。
…コイツは!


「ン…う、……や、…めろッ!!」
「ハル…」
「ふざけんじゃねえ!!」
「!」


拳で誰かを殴るなんて、中学の時にクラスメイトの喧嘩に
巻き込まれて仲裁に入った時以来だ…なんて事を思い出した。
一方殴られた方は、何が起こったのかと、呆然としてるみたいだった。
そして、やっと目が覚めた、という顔をしてこちらを睨みつける。


「…ってえじゃねえかよ!」
「てめえが悪いんだろうが!」
「おいハルカ…!」
「触るな」


これ以上ないくらいに冷たい声だった、と自分でも思う。
だが、そんな事はどうでも良かった…。


「ハルカ…ハルカ! …ったくなんなんだよ…」


アッサムのぼやく声が、早く聞こえなくなれば良いと思って足を速めた。








いらいら状態のままその日をなんとか過ごす。

同好会に顔を出す事すら億劫だった。何やかやと理由をつけて、早めに部室を出た。

顔を見ていたくなかった。


―――だが、今現在の状態。
アッサムは俺の部屋に住んでいるんだ。


それを忘れてた…。


「いい加減にしろよ! …出て行け!」
「ふざけんな! ここは俺の部屋だ!」


結局、奈子たちの執拗な質問攻めを何とかかわし、出来るだけ時間をつぶしてから
(こういう時に限ってバイトが入っていない…)
重い足を引きずってうちに帰ってみれば、いらいらの原因が夕飯を作ってた。


 思わず溜息がこぼれたのは想像してもらえると思う。


また、それをアイツが目聡く指摘して、…ま、その先はさっきの続き、ってやつだな。
お互いに引けなくなってる、それは感じてた。…いらいらする。


…と、ドアの開く音がして、思わず二人して息を飲んだ。
顔を出したのは、見慣れた白い顔。

「…痴話喧嘩なんてみっともないよ」

「「セイロン!」」
「外まで聞こえてたよ? 恥ずかしいなあ」
「…何しに来たんだよ」
「あ、あったあった」
「聞けよ人の話!」
「あ、これ取りに」
「これって…俺のゲームだろうが! てめえ、プレステ2も返せよ」
「はいはい」
「てめえ…」
「うちにくれば?」

「…は?」


一瞬口が開いた。
言った方はやけにマジな表情で、こちらを見据える。


「アッサムと一緒にいたくないんでしょ?」
「おい!」
「アッサムは黙っててよ。…ねえハルカ、うちにくれば?
 母上が借りてきたマンションすごく広いし部屋も余ってるし。
 あ、食事は僕、作る気無いから、外食で良いよね」

「……ああ」
「じゃ、商談成立。行こ」
「お、おいハルカ…」


勢いに押されたわけじゃない。押されたわけじゃあない、が。


気づいた時には素直に頷きを返していた。
アッサムの焦った声が聞こえるが、もうこうなったら乗りかかった船
―――ちょっと意味は違うが、もう引けねえと思った。
簡単に荷物をまとめる。

 パソコンがいじれなくなるのは痛いが、この際数日は我慢するしかないだろう。
それこそ、セイロンの魔法でパソコンを使える環境に
設定しなおしてもらうという手もあるよな。



…アイツの「ご主人」は俺じゃねーけど、
セイロンにはそもそもその主人がいないわけだし、まあ言うだけは言ってみよう。



後ろを振り向くのはやめた。迷う様子を見せたくなかったせいもある。



「だいたい、俺は―――アイツが好きなんであって―――、ハルカだってそうだろ…!」
「―――!」



よっぽど振り向こうかと思った。けど、振り向く事はプライドが許さなかった。
有無を言わせず、さっさと部屋を後にした。


…だから、その後の二人の会話は俺が聞くことはなかった。


「アッサム」
「…何だ」
「…未練がましいのはみっともないんじゃない?」
「…!」
「じゃあね」
「オイ…っ! ……クソ!!」

俺達が出て行った後、アッサムは独りで怒鳴り散らしていたようだった…。









だいたい、俺は―――アイツが好きなんであって―――、ハルカだってそうだろ…!






最後の、アッサムの言葉が耳に突き刺さっていた。

…そうなんだよな。俺は、…奈子が…好きなんだ。そのはずなんだ…。
そして、間違いなくアッサムも―――



 セイロンに案内されて(というよりは俺が一方的にただ着いて行っただけだが)
着いたマンションは、かなり高級そうなとこだった。
ぼーっと考え事しながら歩いてたもんだから、
どこをどう通ってきたのかイマイチ覚えていなかった。

改めてそのマンションを見上げてみる。


……こんなところにこんなガキが一人で住むなんて、なんて贅沢な話だ。
そもそも、その生活費はどこから出てるんだか…。


 想像通り、内装もかなり高価なもので、部屋も相当な広さだ。
「余ってるからどれでも」とぞんざいにそのうちの一部屋を示されて、
とりあえずそこに荷物を下ろした。


広い間取り。大きな窓。
落ち着いた色調のカーテン、揃いのベッドカバー。
無駄な物は何一つないあっさりとした明るい南側の部屋。


…落ち着かない。


「なんで、こんなにイライラしなきゃなんねーんだよ…」


黙ったまま夜が来て。

二人で近くのファミレスで飯を食った。セイロンはもっと高級な所で食べたかったらしいが、
俺はそんな息の詰まりそうな所はごめんだ、と言ったら、あっさり俺についてきた。

黙って飯を食って黙ってマンションに戻って黙って部屋に入った。
静かで広い部屋。広いベッド。いつもなら―――



……落ち着かない。



「あ〜クソ! 眠れねえ…」

水でも飲もうかと起き出したら、ばったりセイロンと出くわした。
左手にはどう見てもワインボトル、右手には―――二つのグラス。

「ちょっと付き合わない?」
「お前…こんな良い酒どっから」
「呑むの、呑まないの」
「もちろん呑む!」

眠れない日は呑むに限る。
二人でリビングのソファに腰掛けた。

「…ツマミくらいは出すよ」

キッチンへと向かう背中を見送って、これが久しぶりの会話だと思い出す。
しばらくして戻ってきたセイロンの両手は、チーズだのクラッカーだのが乗った皿を抱えていた。

「お、さんきゅ」

口をつけたワインは、素人でも上等な品だと言う事がわかるくらい旨かった。
セイロンに酌をしてもらうとは思わなかったけどな。

 少しずつ酔いが回り始めると、お互いぽつぽつと話を始めた。
セイロンは主に学校生活のこと、俺は生徒会の動きやらお茶会同好会の事やら、奈子の事―――


「…なんで……なんかが良いわけ?」


セイロンがぽつりともらした言葉は良く聞き取れなくて。

「は?」
「…何でもないよ」

ぱちん…と、なにかが弾けるような小さな音がした…ような気がする。
ふと、意識がモーローとするのを感じた。そんなに呑んでねーのに…もう酔ったのか?

「…あ〜…もーダメだ、寝る…」
「寝るなら部屋に行ってよ」
「ん…」
「…ねえ」
「んあ?」
「…何でもないよ」
「じゃー、寝る…」


程よく酔いが回ってきてる。これなら、気持ちよく眠れそうだ。

…何もかも忘れて。



倒れこんだベッドは、想像通りスプリングの利いた柔らかい感触で俺を迎えてくれ、
ベージュ色の肌触りの良いシーツにくるまれた俺が意識を失うのは、
そんなに時間はかからなかった。













眠ってから、どれほど時間がたった頃だろうか。




誰かが、呼んでる…


「…ハルカ」


……誰だよ。気持ちよく寝てんのに……


「ハルカ」
「…ん…?」
「ハルカ」

眠気と戦って、なんとか薄っすらと目を開けてみる。
枕元に立っていたのは、長身で、クセ毛の―――今は、俺の同居人で……そして

「……アッサム…?」
「ハルカ…」


何しに来たんだよ…


「ハルカ…ごめんな」


何を、謝ってるんだよ…


「アッサム……」

アッサムは、真摯にこちらを見つめ返した。
眠気は、まだ去らない。
どこか夢みたいな、足元がはっきりしない感覚のまま―――


「やっぱりおれ、ハルカが…好きだ」


ふわふわしたまま、その言葉だけが深く響いた。

「ハルカ…」
「ん、ん…」

冷たい。

俺よりもわずかに大きな掌で触れられるのを感じる。
アルコールのせいで体温の上がった皮膚に、その冷たさが心地よかった。


いつもと…全然違う。
優しくて…丁寧な。どーしたんだ? 俺が酔ってるせいか…?
なんだか、頭が…はっきりしない。
アッサムの声もどこかぼんやりとしていて…まるで、遠くから聞こえてくるみたいで。

「…素直じゃん、ハルカ」

こんな軽口、いつもなら頭にきてるはずなのに。

「バーカ、…酔ってるからだろ」

そうだ。酔ってるせいなんだ…。

「ま、そーゆー事にしとくよ…」

そう言って笑った目が優しくて、―――俺はまた、意識を手放した。









そして。


「…おいおい…朝だよ…」

思わず、声に出して確認してみる。
カーテンの隙間から入り込む日差しは明るく、
その目覚めが夢なんかじゃないって事を証明していた。


じゃあ。


アイツとの…は。
…夢、って事か……?

それを認識した途端、思わず深く嘆息した。

アイツの夢見るなんて…全く、どうかしてる。らしくねえ。

目を覚ました俺の傍に、もちろんあいつがいるわけはなく。
目に映るのは。見慣れない天井、寝なれない柔らかなベッド。
知らない部屋。


ここは、アイツのいない、部屋。




「う〜〜〜…あ、頭いてえ…」

ソファで頭を抱えた俺を、セイロンは冷たく見下ろす。
ペットボトルで紅茶なんかを飲みながら、制服に着替えていた。

「呑みすぎなんだよ」
「何でお前は平気なんだ…」
「慣れてるから」
「…くそ〜」
「優しい方が良いんだ?」
「…え?」
「何でもないよ。じゃ、僕学校行くから」
「え! ちょっと待てよ、俺も…痛!」
「無理しない方が良いよ。今日はサボっちゃいなよ」
「セイロン」
「うるさいのには、適当に言っておくからさ」

正直助かった。
こんな状態で…こんな気持ちで、アイツに、そして奈子に会いたくなかった。

「悪ィ…さんきゅ」
「…良いけど」
「気をつけてな〜」

ばたんと閉まるドア。
カギはかけない。オートロックというやつだ。

「……バカみたい」

ドアの向こうの、小さな呟きは俺の耳には届かなかった。









一週間が過ぎて。

俺は、だんだんこの生活に慣れてきた。
必要な事以外口を利かないセイロンと、毎日の外食。
気が向けば二人でゲームを取り合う。



 最初のうちは奈子たちになんて説明しようかと気がかりもあったが、
奈子たちは俺達の状態を知らないようだった。
部室に顔を出しても、いつもと反応がかわらない。

 セイロンも、当のアッサムも、話してはいなかったようだ。
たまたま奈子たちがうちに来るような用事もなく、
そのまま何事もなかったかのように毎日が過ぎてた。
奈子たちに気づかれないようにさりげなくアッサムと顔をそらしあうのも、
この一週間で互いに慣れた。


喧嘩はしょっちゅうしてたから、奈子たちもそんなには気にしてなかったみたいだ。



だがそれでも、そろそろパソコンをいじりたい。
この前、注文しておいたソフトが届いたばかりだったし……


今日当たり、話を出してみるか―――
なんて思っていたら、今日は向こうから話し掛けられた。




「この前、アッサムに抱かれたでしょ」




何だって?
何のことだ?


話し掛けられたものの、内容を理解するのに時間がかかった。
ようやく思いついて…顔色を変えないようにするのが精一杯で。

…声は、震えていただろうか。


「…何?」
「ここで、さ。僕の部屋だって言うのに…よく平気だよね、ハルカ」


対するセイロンは、あくまで淡々としていて、
何を考えてるのか、何が目的なのか、さっぱり見えない。


…とにかく、誤魔化すしかねえ。
そう、決意して。


「何言って…」
「……それ、僕だよ」


時が、止まった気がした。
何を、言っているのか。


何を、言っているのか―――


わけがわからず呆然としている脇で、くすりとセイロンが笑みをこぼした。

「聞こえなかった? この前、君を抱いたのは僕だって言ってるの」
「な…」
「寂しそうだったからさ。…良かったでしょ? わざわざ…姿まで変えてあげたんだから」
「お…まえ!」


じゃあ。
じゃあ、あれは。


「そりゃ、お酒も入ってたし僕もちょっとは魔法を使ったけど…
 全然違いに気づかないんだもん。
 所詮はその程度、って事なんじゃないの」
「セイロン…ッ」
「僕が気づいてないとでも思ってた? …おめでたいね。
 何日も同じ部屋で生活してれば、嫌でも分かってくるってものじゃない?」
「…!」


夢じゃ、なかったんだ―――


「お前、…それ…」
「…ああ、大丈夫だよ。別に誰にも話してない。…例えば、君の幼馴染…とかには」
「!」


何を、何を言っているのか。
こいつは…。


「つまり君はさ、僕に弱みを握られたってワケ。…理解できた?」

他に、どう答えれば良かったのか。
借りなんて、作りたくなかったのに………。

「…出来た…」
「そ。飲み込みが早くって良いね、ハルカは」


…そういえば。セイロンが笑うのなんて初めて見たかもしれない。


「そうだ! ハルカさ、パソコン使いたがってたよね。良いよ、使って。
接続になにが必要なのかは教えてよね、準備するから。
それに今の時間ならアッサムもいないはずだし、魔法で運んであげるよ。一緒に行こう」
「……ああ……」

こんな事で自分の部屋に戻る事になるなんて。
こっちの方が夢なんじゃないかと思いたかった…。













 一週間ぶりに帰った部屋は、なんだか居心地が悪かった。
アッサムがかかさず掃除をしてるんだろう、
俺が出て行く前よりも確実に綺麗に片付いている。
…見ると、パソコンのモニターやキーボードも、きちんと掃除されていた。


「早くまとめないと、帰ってきちゃうよ?」


誰が、とは言わない。

ここに帰ってくるのは、今は一人しかいない。


「わかってる」


 素早く必要なソフトケースや雑誌、コードなんかをまとめて、
どうせだから、とパソコンデスクごと運んでもらうことになった。
更に着替えもまとめる。
 ある程度の必要な物―――カバンや制服なんか―――は、
あらかじめセイロンが運び込んでくれていたので、とりあえず困るような事はなかったが。

デスクを魔法で移動してもらうと、狭い部屋が少しは広く見えた。


…急になくなったら、アイツが驚くかもしれない。


そう思って。
冷凍庫にくっついてたボールペンを手に取った所で、セイロンに押さえられた。

「何してるの?」
「何って…」
「必要ないよ。…ダメだよハルカ、勝手な事しちゃ。
 …君は、僕に借りがあるんだからね?」
「……わかってる」
「じゃ、帰ろうよ」

結局、手にしたペンは使われないまま冷蔵庫に戻された。


…帰る、か。
あそこは…俺の部屋じゃないのに。





そして。
次の日。

セイロンがコンビニに買い物に行っている間に…客が来た。
何となく予感がして、手にした雑誌を置いた。

 下の自動ドアは、暗証番号がないと開かないはずなのに―――
とそこまで考えて、魔法を使える者にとってはそれが意味のないものだと言う事を思い出す。



 無視をしようかと思った。
それに、もしもセイロンの親だったりしたら、それこそ何て言うべきか分からない。


だけど。


 画面で見る事の出来るインターフォンがあるが、イマイチ慣れなくて使いづらいし、
その上あまりにしつこくチャイムが鳴るから、仕方なくドアに向かった。



「…誰」
「ハルカ?」


…やっぱり。
…何で来たんだよ。


「ハルカだろ」
「……帰れ」
「セイロンは今いないんだろ」
「…なんで」
「さっきコンビニに行くのを見た」
「そーかよ」
「…開けろ」
「…ありがたい魔法があるだろうが」
「…ハルカ」


…八つ当たりといえば、それ以外の何者でもないだろう。


「魔法で何でもやれよ」
「ハルカ!」


……アッサムは、そういう事をしないヤツだった。
自分の力で出来る事は、なるべく自分の力で―――
そういうヤツだからこそ、紅茶王子だかなんだか知らないが、今まで―――。

…思えば最初は、いけ好かないヤツだった。


「願いを叶えてやる」


偉そうで、生意気で、気に入らなかった。
俺達が少しでも立ち行かないと、すぐに「それを願い事にしろ」と言い張る。
あまりに横柄で、マジで切れた事さえあった―――。
それは、今でもそうなんだ―――


それなのに。


「…ダメだ」
「何が」
「セイのやつが、カギの上から更に魔法でカギをかけてる。おれじゃ開けられない」
「この部屋はセイロンのものだ。セイロンがそうしたんなら、俺にだって開けられない」
「…ハルカ。開けてくれ」
「……」
「―――開けてくれ。…頼む」


拒絶出来なかった。
拒絶するには、まだ少し気力が足りなかった…。


出来うる限りゆっくりと時間をかけてドアのロックを外す。
セイロンが早く帰ってくれば良い、とさえ願った。

ドアを開けると、見慣れたTシャツに身を包んだ背の高い男。
褐色の肌、黒いクセのある髪。





…アッサムだ。




「…何で来たんだ」


出来るだけ無愛想を装う。
目を合わせられなかった。顔を見ていられない。
…そんな自分自身にもムカついてたまらなかった。


「昨日帰ってきただろ、部屋に」
「行ってない」
「嘘付け。お前のパソコン周りのもんがそっくりなくなってたからな。
セイロンに必要なソフトなんかが分かるもんか。
それにお前がパソコンやる時いつも読んでた雑誌も無かったし」


「…良く分かるな」




…こんな。
こんな事が。




「当たり前だろうが。普段誰が掃除してると思ってる」
「そうか」
「帰ってきたんだろ?」
「…俺は…行ってない。セイロンに説明して、取って来てもらったんだ」
「嘘付け」
「嘘じゃねえ」
「…じゃあ、なんでペンを動かした?」
「!」



こんな事が嬉しいなんて―――



「おれに何か残そうとしたんだろうが」
「…違う」
「何か言いたかったんだろうが」
「違う」
「違わない! 何か言いたかったんだろ!」
「じゃあ言う。もう来んな」


これ以上続けたら…俺は


「だーもう!! いい加減にしろって!」
「いい加減にすんのはそっちだろうが!
 俺は何も言いたくねえ! 何か言うならそっちだろうが!」
「……ダメなんだよッ」
「…なに?」

「あーもう! ―――お前じゃなきゃダメだからこーやって迎えに来たんじゃねえか!!」
「―――そんなの知らねえ」


早く


「ハルカ…!」
「そんなテメエだけの理屈なんか知るか!」


早く、しなければ


「他に何て言えば帰ってきてくれるんだよ!」
「!」
「何でも言えよ! どうすりゃ帰って…きてくれるんだよ。
 携帯に連絡してもつながらねーし…」


心が激しく動くのを自覚する。
…ダメだ。
ダメなんだ。


「…アッサム」
「おれだって認めたくなんかねーけどよ。しょーがねーだろ、お前じゃなきゃ…、……」
「何だよ」
「…怒んねえ?」
「怒るに決まってるだろ」
「…だよなあ…」
「何なんだよ」
「……お前じゃなきゃ勃ちもしねえ」
「…何だソリャ」
「おれに聞くな!」


…こんなやり取りも…ずいぶんしてなかったな…。


「…とにかく、俺は帰らねえよ」
「なんで…!」
「何でもだ!」



戻りたかった。



「そんなの納得出来るか!」
「何でも良いから納得してくれ…ッ!!」


こんなに必死に叫んだ事なんて、久しぶりじゃないだろうか。


「…もう帰れ。荷物はまたそのうち取りに帰るからいじるな」


早く早くこのドアを閉じたかった。
そうしなければ俺は―――


そっと窺うと、アッサムはやけに神妙な顔で俺を見ている。
怒気は、見えなかった。
半ばほっとした気持ちでノブに手をかけた。


「じゃあな」
「……お前、何を抱えてるんだ?」




―――痛ぇ。




「なんにも」
「…何を抱えてる?」



なんで、こんなに。



「だから、なんにも」
「嘘だ」



なんで、こんなに痛ぇんだよ―――



「セイロンか―――?」


激痛が走った。
もう、これ以上は―――


「…何でも、ないんだ」
「それが何でもないって顔かよ」
「良いから、帰ってくれ」


顔向けなんか、出来るか―――!


「ハルカ」
「…触んな」


強く腕をつかまれた。
一週間ぶりに触れた、大きな掌。
思わず、顔が歪む。
それに気づいたのか、アッサムはすぐに手を放した。


「悪ィ」
「…帰ってくれ」


アッサムが腕を下ろすのが見えた。
やっと、あきらめてくれたか…。

 安心して、少し躊躇いながら、ドアを閉めるために再び手を出した瞬間、
いきなり視界が反転した。

やけに床が近く見える―――担ぎ上げられたんだと理解するのに一瞬時間がかかった。


「何だ…!?」


アッサムは俺を片腕で肩に担ぎ上げたまま素早く後ろ手に
ドアにロックをかけ、更に魔法をかけていた。


「降ろせ!」


右肩の上に両腕を使って器用に俺の腰を固定させたままズカズカと部屋に入り込む。
迷いもせずに一番奥の―――俺が使ってる―――部屋のドアを勢い良く開け放った。
そのままの勢いで、今度は急にベッドの上に放り投げられる。
上がったり下がったりで頭がクラクラした。


「何なんだよ…」


 頭を軽く振りながらアッサムを窺うと、ベッドに両手をついたまま深くうなだれていて。
その様子があんまりいつもと違ったから、声がかけられなかった。




ただ黙って、アッサムから何か言ってくるのを待つしか出来なかった。















「ハルカ」
「…何だよ」
「こないだは…悪かった」
「………ああ」


…もう、今更だろう。

それに、あれは…多分俺も悪い。
俺は…認めたくなかっただけで、多分…嫉妬してたんだろう。
欲しいと思うものは、自力で手に入れてきたはずだった。
これからも、そう出来るはずだった。


けど、それは理想に過ぎなくて―――俺はちっぽけで、
力の無いヤツなんだと実感しただけだったんだ。



嫉妬しながら、俺は気づいてた。
アッサムが、相手を断るのが本当につらそうな事に、気づいていた。
断らなきゃいけないことが分かってるのに、最初からわかってるのに、
それでも告白されるのはつらいことだと、俺は気づいていた…。


なのに、俺は―――



「俺も、…悪かった」
「ハルカ…」
「俺が…悪かったんだ」
「ハルカ」


俺が悪かったんだ。
アッサムは悪くなかった。
俺が勝手に嫉妬して女みたいにヒス起こして勝手に切れたんだ。


「悪かった…」
「…ハルカ…泣くなよ…」



―――泣いてなんか、いねえよ。



「…俺は…」
「うん…?」


心臓がうるさいくらいに暴れてる。
次の言葉を紡ぎだすのに、ものすごい力が必要だった。


「俺は、……セイロンに…でも俺は、お前だと思ってて…言い訳だけどな」


…軽蔑されるだろうと思った。
侮蔑され、嘲笑されるだろうと。
俺は、それだけの事をした。
そういう自覚くらいある。


…なのに。


「ハルカ」


アッサムが躊躇いながら触れてくるのが分かった。
…不器用で、真っ直ぐな感情が伝わってくる。

背中のシャツ越しに、柔らかいシーツの感触。
すぐ上を仰げば、真剣な表情をしたアッサムの視線とぶつかった。

「抵抗すんなよハルカ、頼むから…抵抗されたら、おれ…」


苦しそうに眉根を寄せて呟く。
…本物、なんだよな。


「……しねえよ」
「!」
「処女奪われるってんじゃなし。そんかわり…」
「そのかわり?」


黒い瞳に俺が映る。―――久しぶりにコイツを真っ直ぐに見た。
不器用で、でも真っ直ぐな視線。
ああ…アッサムだな。

こんな時に、実感する。
俺も…多分、ダメなんだろう。


きっと、コイツでなけりゃ―――



「そのかわり、死ぬほど痛かったら蹴り倒す」


はっきり言うと、ヤツは悪戯っぽく笑いをこぼした。


「…痛くなかったら?」
「―――我慢してやる」












「ン…あぁ、あ」
「…ハルカ…ハルカ」
「ぁア…はあ、あ…ッ、う…ん……アァ!」

一際激しく揺さぶられて、一瞬意識が吹っ飛ぶ。

「ぅ、あ、おれもう限界…ッ」

擦れたアッサムの声を聞いた瞬間、今度こそ意識は真っ白になった。












目が覚めると、アッサムが暗い顔で座り込んでいた。
しかも、何度も溜息をついてやがる。


「…何なんだよ」
「…あ〜あ…」


滅茶苦茶不本意そうな溜息。
なんとなくムッとした。


「…だから、なんだよ?」
「あーくそ、さいこーに気持ち良かったと思う自分がすげー複雑…!」
「は?」
「なんで男なんか抱いてヨくならなきゃなんねーんだ」
「あれだけヤっといて勝手な事抜かすな!」
「ハルカだってあんだけヨがってたくせに!」
「てめ…!」

俺は自分の後ろめたさも何もかも棚に上げて怒鳴りつけた。その瞬間。


ばん!


「うるさい!!」

「「…!!」」

突然開け放されたドアの向こうには、やっぱり見慣れた白い顔があった。
その顔は、うんざりした表情を浮かべていて―――

「痴話喧嘩ならよそでやってよ」

溜息と共に言葉を吐き出す。

「セ、セイロン!」

今更のようにアッサムが慌てた声を上げ、わたわたと服を拾い上げる。
セイロンは、そんなアッサムをちらりと冷たく一瞥する。

「不法侵入」
「う」
「しかも土足」
「うう」
「あとロックはね、一つカギをかけるだけじゃ不十分だね。
ドアの下にも上にもロックがついてるの知ってる?」
「ううう」
「あのね」
「な、何だ」
「押しまくるだけが脳じゃないんだよ、アッサム」
「…!」


…こんな状況だと言うのに、俺は思わず笑っていた。


「何だよハルカ! 笑うな!」
「ワリーワリー、あんまりだったからよ」

いつまでも笑ってると、アッサムは真っ赤になって
反論してきたのでついでに蹴り落としてやる。

「うるせーぞアッサム! だいたいいつまで乗っかってる気だ!」

不意を付かれたアッサムは、間抜けな格好でそのまま落っこちる。
憐れなアッサムの講義は右から左へと聞き流す事に決めた。



 ふと見ると、ドアのところにいた人影が見当たらない。
とりあえず軽く羽織って慌てて追いかけると、セイロンはキッチンの冷蔵庫から
さきほど買ってきたらしい紅茶のペットボトルを取り出してる最中だった。

「…酒にしないのか?」
「未成年だからね」

…本当は。
本当は、俺は知ってた。
セイロンは、あまり酒が好きじゃないってこと。
あの日は―――俺に付き合って、わざわざ酒を用意してくれてた事を―――。

……いや。
やっと、やっと気づいたんだ―――。

「セイロン」
「…何」
「…悪かった」
「…何の事かわかんないよ」
「そっか。…そうだな」


けど。
…謝らせてくれ。
俺は―――


…セイロンは、コンビニから、かなり早くに帰ってきてたんだろう。
それでも、部屋に入らずにいてくれた。


見るとセイロンは、あんまり旨くもなさそうにペットボトルの紅茶を飲んでいる。


「…なあ、せっかくの日曜だし、今から奈子に連絡しようぜ」
「は? 何、急に」
「旨い紅茶飲みたくねえ?」
「…そりゃ飲みたいけど」
「じゃあ、決定な」


軽く背中を叩くと、しぶしぶという様子で、
それでも飲みかけのペットボトルを冷蔵庫に仕舞い込んだ。

早速奈子に連絡して、怜一さんの店に連絡してもらおう。


マスターである怜一さんには悪いけど、今回は、奈子に淹れてもらった紅茶を飲みたい。


―――そうだ。

せっかくこんなに良い天気なんだから、外でお茶ってのも良いかもしれない。
みんなでワイワイ、昼飯を兼ねて。…なんだか、こういう気持ちは久しぶりな気がする。

急だけど、なんか旨いお茶菓子でも用意してもらって、ついでに染谷と紅も呼び出して。



そして、セイロンのには染谷に蜂蜜でも入れさせて。












俺とアッサムには―――いつものやつを。


















三つの願い総てが叶うまでは
みんなで紅茶を淹れて飲もう


たとえばこんな昼下がりには。



























<おわり>




甘すぎます。信じられません(オイ)。 どこまでが夢でどこからが脚色か、それはご想像にお任せ〜。 それにしても美佳ちゃんモテモテです。ありえない(笑)。 途中で、小説にする努力を捨てました。 よって、もうなんだかすごいことになってます。 <オマケ> 2003年7月6日〜7月11日アップ